「ブランド経験」とは何か?どのように捉えるべきか?
「顧客経験」が、あらためて注目を集めています。米国の研究機関「MSI(マーケティング・サイエンス・インスティチュート)」が発表した、2014年から2016年にかけての最優先研究課題においても、優先順位第一位の二つのテーマのうちひとつとして「顧客と顧客経験」が挙げられており、その注目度の高さがうかがえます。背景には、マルチメディア、マルチスクリーン、マルチチャネルという新しい情報環境、またソーシャルメディアやデジタルテクノロジーが興隆してきた現在において、顧客はどのように行動しているのか、という問題が重要になってきたことが挙げられます。
ここでは、「顧客経験」の中でも特に、「ブランド経験」にフォーカスし、その意味、また注目を集めることとなった背景や、測定方法について、最新の研究結果をまじえてご紹介します。
注目を集める「ブランド経験」
ブランド経験とは、顧客経験の中でも、特定のブランドによって生成した経験を指します。ブランドがどのような経験を生み出し、また、その経験がどのような消費者行動に結びついてくるかは、マーケティングの実務者視点からは、重大な関心事のひとつです。
2015年のKhan&Rahmanのレビューによると、「ブランド経験」は2009年にBrakusたちによってはじめて学術的に本格的に取り上げられました。学術雑誌に見出された73の研究論文は2012年、2013年、2014年の3年で45%を占めていることからも、「ブランド経験」は2010年代に入って急速に研究者の注意を引きつつあるテーマであると言えます。では、なぜ「ブランド経験」が急速に注目を集めるテーマとなっているのでしょうか。そこにはふたつの理由があると考えられています。
ひとつの理由には、実務者、特にITの関連でオンラインの顧客とコンタクトする場面が重要であると認識されてきたことによって、ブランドが管理するコンタクトポイントで、ブランドがもたらす経験がどのような役割を果たすかに関心が高まってきたことが挙げられます。もともとIT業界では、「ユーザーエクスペリエンス」あるいは「顧客経験」という概念が主張されており、特にコンピューターの使い勝手を考える技術者の間では、2000年代からユーザーエクスペリエンス(UX)を重視する考え方が議論されてきました。
もうひとつの理由には、経験という視点を用いることによって、ブランドが与える種々の影響を統合化して捉えることが可能になったことが挙げられます。これまでの消費者行動研究では、認知的・感情的・行動的反応など、ブランド刺激が引き起こす反応を分けて捉えるアプローチが支配的でした。しかし実際には、例えば、「スターバックスで楽しい時間を過ごす」というブランド経験をしたとしても、ある顧客はそこから「スターバックスは良い経営をしている」という認知的反応を、別の顧客は「楽しい感情を抱く」という感情的反応を示すことが在りえます(Liu, Huang, & Chen, 2012)。そのため、ブランドがもたらす経験とそこで起る反応、またその経験の想起をより統合的に捉えるためにブランド経験という概念が有効なのです。
「ブランド経験」をどう捉えるか
では、このブランド経験はどのように捉えればよいのでしょうか。1999年、Schmittは、経験価値を5つの経験概念(感覚的、情緒的、創造的・認知的、肉体的、関係的)に分類することを提案し、「戦略的経験モジュール」と名付けました。その後、Brakusたちが検証調査を重ね、4種類の因子(感覚的、感情的、認知的、行動的)へと収束させ、これを捉えるために12の項目をつくりました。しかしながら、このBrakus尺度が日本で用いるためには、ワーディングが適切であるか、また要素として不足しているものはないのか、など、いくつかの課題も残されており、これに対する示唆を得るため、2015年に、インターネット調査、およびインタビューの2ステップからなる調査を実施しました。
その結果、第1ステップ(インターネット調査)からは、以下のような課題が見いだされました。
(1)対象者からわかりづらい、回答を得ることが難しいと考えられる項目がある。
(2)商品カテゴリーによって調査項目のあてはまり具合が異なる。
(3)ブランドの知覚やブランド関係性を捉えることはできても、ブランド経験が持つ時間的変化やプロセスを十分に捉えられている項目とは言い難い。
第2ステップでは、絆形成に結びついたブランド経験を収集し、類型化していくために、「最愛ブランド」と呼べる大好きなブランドを持つ20-50代の女性を呼集しました。目的は、対象者の最愛ブランドについて、どのようなブランド経験を経て今にいたるのかについてのデータを収集し、ブランド経験測定尺度についての基礎情報を収集することです。このステップでは、インタビュー手法として「コグニティブ・インタビュー」、データの収集・分析フレームとして「グラウンデッド・セオリー・アプローチ」というものをそれぞれ用いています。ここで、各手法について簡単にご紹介します。
コグニティブ・インタビューは、1980年代後半に米国の心理学者GeiseselmanとFicherにより開発されたインタビュー手法です。もともとは警察が事件や事故の目撃者を尋問する際に、正確な証言をより多く引き出すために開発されたものですが、マーケティング・リサーチにおいても、対象者の記憶の再生を促し、ある物事や行動が起こった「文脈」や「シーン」を具体的に理解するために有効であるとして、採り入れられるようになっています。(コグニティブ・インタビューについて詳しく知りたい方は、「コグニティブ・インタビューとは?警察の手法をマーケティング・リサーチへ」をご覧ください。)今回の調査においても、できるだけ対象者にブランド経験に関するストーリーを語ってもらい、エピソード記憶も含めた潤沢な情報を時間的経緯に沿って引き出すため、コグニティブ・インタビューを採用しました。
グラウンデッド・セオリー・アプローチは、1960年代に社会学者のGlazerとStraussが提唱した、質的な社会調査の一つの手法で、アメリカでは社会学や看護学において定着し、日本でもヘルスケアの領域で用いられています。インタビューや行動観察など、質的調査の分析過程は、ともすると属人的で個人的な印象や直観に寄っている印象で受け止められがちですが、この手法を導入することによって、収集したデータのコード化などのプロセスを可視化し、データに立脚して仮説や理論を構築することが可能になると考えられています。今回の調査においては、コグニティブ・インタビューによって複数の対象者から取得する詳細で膨大な経験エピソードから、ブランド経験の普遍的な理論を抽出するために、分析プロセスが標準化されたグラウンデッド・セオリー・アプローチを採用しました。また分析にあたっては、質的データ分析の支援・補助をするCAQDAS(Computer Assisted Qualitative Data Analyzer Software)のひとつであるNVivoのソフトを使用しました。
その結果から明らかになったことは、ブランドへの愛着が非常に強く、最愛にまで達しているブランドでは、ブランドと自己との関係性について、対象者が多くを語っていることです。自分と関わりの深いブランドは、単に自分に感情的反応を与えるだけでなく、自分のアイデンティティを変化させたり、あるいは失っていた自分のアイデンティティを復活させる働きを成していることがわかります。対して、好意にとどまっているブランド(「最愛」には達していない)については、ブランド経験が多く語られていた「最愛」ブランドに対し、ブランド経験を評価する言葉が少なく、「最愛」と「好意」のブランドでは、ブランド経験について異なる反応がされていることがわかります。
【図表1】今回の調査からわかった、「最愛」「好意」ブランドの要素
このように、ブランド経験尺度を作成することによって、どのような経験を与えたら、どのような効果が得られるのかを捉えることは、ブランド戦略を展開するために有効であると言えます。その中でも、今回の研究から「最愛ブランドの要素」として新たに明らかになった「アイデンティティの形成」を伴うブランド経験は、強いブランドを形成する上で、大きな手掛かりになる可能性があります。
※この記事は、田中洋・三浦ふみ(2016)「ブランド経験」概念の意義と展開-日本的ブランド経験尺度開発に向けて- JAPAN MARKETING JOURNAL Vol.36 No.1(2016), 57-71 をもとに再編したものです。
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