非言語情報から仮説をたてる〈1〉
「非言語情報」を言語で共有する
「微差」を発見していく
ここまで「暮らし先読み、後読み予報」というタイトルで、ちょうど1年間20回にわたって連載をしてきた。これからは「非言語情報から仮説をたてる」と題し、「非言語情報」ポイントをあてる形でこの連載をリニューアルし、新しく継続していくことにする。
今までの連載では、暮らしの変化のトレンドを具体的な生活行動の軌跡を通し、できるだけ物語として共有できるようにしてきたつもりだ。たとえば「白いごはんを食べる」という生活行動も、その軌跡で追跡していけばほぼ千差万別である。千差とはいっても「微差」といったことも多い。ただこの「微差」の中にこそ変化のきっかけがあったりする。お茶わんごはんなのか、ワンプレートに雑多に盛られた状態なのか、その盛られたごはんが、バターライスがわざわざ成型されたおしゃれなものなのか‥、こんな「微差」の発見がきっかけになったりするのだ。
日々の暮らしの行動の中に表象されている「微差」というものは、その行動をとった生活者本人たちにとっても無意識であることが多く、非言語的行為そのものの流れであり集積である。その意味で、生活者自身にとってもこの行動の流れは非言語情報そのものであり、その中から「微差」を観察したいと考えている私達にとっても、その対象はほぼ「非言語情報」だといっていい。
非言語情報は時間の流れのままに消去されていってしまうものだが、写真や映像という技術を使うことによって、可視化し集積することが可能である。とりわけデジタル技術はこれを飛躍的に容易にした。
生活者自身が言語化できていないこと
生活者自身が気づいてもいない、つまり論理的に言語化されていない心と行動をとらえるためには、この「非言語情報」こそが宝の山だといえる。これは同時に「微差」の発見から新しい暮らしの予兆を見つけたい我々にとっても同じである。言いかえれば、集積され可視化された「非言語情報」を真ん中にして、生活者自身と私たちが同じ位置にいることになる。この情報を素直に生活者にフィードバックすることで、共に無意識を掘り起こすことにつながっていく。
少し例をあげてみよう。ここにあげた写真、つまり非言語情報は、子育てファミリーの暮らしをフォトハンティングしたものからピックアップしたものだ。
家の中にどんな風にお米という食材が存在しているのかを、みつけだしてみた。子育て真只中の共働きファミリー3人の暮らしの断片だが、3者3様にお米という食材が備蓄されている。まずは、忙しいこの世代にとって洗って炊飯しなければならないお米というものは果たして必須のものなのだろうか‥、などというストーリーをまずは考えてみることになる。ここにはすでに幾通りかの仮説めいたものが存在している。
「こんなに米袋に入った米がたくさんあるけど、どういうこと?」「これってもしかして無洗米?」「冷凍庫にはビッシリごはんが冷凍保存されているけど、これは残り物がとりあえず冷凍庫にしまわれたものなの?」、あるいはその時食べる分以外は「すぐに冷凍保存したものなの?」。
こんな様々なことに想像を広げながら、次のステップに入っていく。まさに「非言語情報から仮説をたてる」ことそのものである。
「化石」との区別をしていく
今回の例でも示したように暮らしの断面を切りとるように可視化した写真、私の言葉でいうとスナップショットは、重要な非言語情報ということになる。これは暮らしの一場面を表象しているが、たまたまここに被写体として残存していたから可視化されたものに過ぎない。たとえば、これ以外にはどのような非言語情報があるのか。そもそも非言語情報とはどのようなものを指し、どのような方法で収集されていくことが可能なのか。このようなポイントを今後整理していこう。
お米という食材がスナップショットとして可視化されたとはいえ、これが日々の暮らしの中でどのように消費されているのかはわからない。まずそんなことはないだろうとは想像できるが「お米はとりあえず買ってはみたものの‥」ということで、その軌跡がたまたま残存し、可視化されたことだってある。行動の残存であり、こんな非言語情報のことを私は暮らしの「化石」と呼んでいる。冷蔵庫の中や、クローゼットの中を可視化するとこんな「化石」によく出会う。もうすでにカビカビになってしまっている豆板醤が冷蔵庫のポケットにいたりする。「化石」をみつけだすことも、非言語情報の取り扱いの鍵になる。
「気づき」というプロセス
暮らしの中の「化石」と「生命体」を区分するためには、生活の流れと時間軸を把握することが必要だ。たとえば日々の食事シーンを追うといったフォトハンティングによる非言語情報の可視化は、あるポイントがある。これがあってこそ、お米とごはん、そしてそのごはんの千差万別と「微差」の発見につながっていくのだ。「非言語情報」とは何なのか?その整理を行いながら、そこからの仮説をたてるステップについても今後述べていくことにする。
「お米がずい分たくさんあるなあ」といったことが、まずは最初の「発見」だ。「目のつけ所」といったことになる。これは非言語情報という対象としてみれば、Factそのものである。このFactは非言語情報そのものとして取り扱っておく。つまりは言語を使って説明する必要性はない。
そして、次にこのFactに対してなぜそれが気になったのか、たとえば「なんでこんなにたくさんのお米が買い置きされているのだろう」。これは私の言葉でいえば「気づき」だ。言いかえれ「Why?」でもある。Factと「気づき」というセットが、まずは非言語情報へのアプローチの第一歩ということになる。ここでの鍵は、網羅的に少しでも多くのことに「気づき」を持つ必要はないことだ。別の人がアプローチすれば、別の「気づき」がある。この「気づき」を共有することで広がりが生まれる。ワークショップをするとすればここが入口となる。この「気づき」プロセスには正解というものはない。自分の暮らしの体験価値を相対化するということが重要なのだ。
「生活文脈」による「全体化」
「気づき」の次のプロセスは「視点」の構築だ。今回の例でみれば、たくわえられているお米というものが、実際の暮らしの中でどのように価値を発揮しているのだろうかということをストーリー化していくことである。たとえば「これってネット通販で買っているのだろうか?」「もしかしてこの”あいかわこまち”って、ふるさと納税でもしているのかな?」「車で買い物に行く時にそのつど買っている?」みたいなことをWhy?ということで拡張していくことである。そして、普段の食事シーンにはどんな風につながっていくのだろうかといったことを想像、妄想していくことで、この断片としての非言語情報を暮らし全体へと拡張していく。この断片の情報だけからは、到底情報不足になってしまうから、他の断片とつないでいくことで物語の糸を紡いでいくことで「視点」をみつけだしていくことになる。物語には当然文脈というものがある。この文脈のことを私は「生活文脈」という呼び方をしているが、この「生活文脈」をみていく、想像していくことで、断片としての非言語情報に血が通い出すのだ。ようやく暮らしという全体像と1つの断片が関連付けられていくことになる。「生活文脈」をおさえながら、「全体化」をしていくことで「視点」がつくられていく。
これでようやく連載のタイトルである「仮説をたてる」玄関に立てた。「生活文脈」をおさえる方法については次回に詳しく述べることにする。
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