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非言語情報から仮説をたてる(13)「花束」の「意味するもの」、「されるもの」

野草のブーケ

ここのところ、ある出来事があり、たて続けに「花束」をいただくことになった。「花束」ともいえるし、「フラワーブーケ」ともいえるし、「贈花」ともいえる。「このたびはお花を頂戴しありがとうございました」というお礼をメールすることになる訳だが、このいただいたお花というものは、どれ1つとして同じものはない。送り主の感じ方が反映されているものもあれば、いただく側の趣味を考慮して考えられたものもあれば、儀礼としてはずさないものもある。

言語でいえばすべて「お花」、あるいは「花束」ということになるが、1つ1つの具象物は千差万別、多様性そのものである。しかし、仏花であれば菊の花を中心にした花束ということで、時代ごとの「お花」を贈るということの言葉の意味するものと、その実際の具象物にはそれほどのズレはないだろう。あるいは儀礼としての「贈花」であれば、胡蝶蘭をお贈りしておけば、そんなに失礼もハズレもなかったかもしれない。ところが今、それがハズレになり得るのである。

大振りの花を満載にした豪勢なブーケが「贈花」というものの代表であった時代は終わりつつある。むしろ花ならばカスミ草などの小ぶりの花を中心にした、昔風の常識でいえば地味で、豪華さに欠ける、「贈り物」の花には向いていなかったりしたものが実際は多かった。

贈り物としての「花」というものが意味するものは、こちらに移行していっているといっていい。ペンペン草なんていわれている野の雑草や、花よりも野草のようなものが中心に、それに少しの花で構成されたブーケの方が「贈り物」としての「花」を意味することになった。

「シャンペトルスタイル※」のブーケなんかがその代表で、むしろいただいた方は、そちらの方に贈り主のセンスを感じたりするし、喜びは大きくなる。

※シャンペトルとは「田舎風」という意味。草原から摘んできたようなナチュラル感のあるパリ流行のブーケスタイル。

「花」、あるいは「贈花」という言葉、あるいは「花束」という言葉の意味するものとそれが表現されている具体物にズレが生じていることを示しているといっていい。これが多様化の本当の意味ということになる。

「指示表出」と「自己表出」

「言語」というものには「意味するもの」と「意味されるもの」という2つの側面がある。「花」の例でいえば、たんぽぽの花もバラの花も「花」という言葉の「意味するもの」である。だから「花」ではなく「たんぽぽの花」、「バラの花」といった形容詞をつけて指示を明確にする。これが言語のもつ「指示表出性」ということになる。「贈花」という言語には、それにふさわしい具体物を表象できる規範というものがあった。それ相応のふさわしさというものさしが、その「指示表出性」を支えていた。だから一定の範囲の中にその花はおさまっていたといえる。

ところが、言語には「意味されるもの」という側面がある。たとえば「お花」、あるいは「贈花」といった際に、それがオーソドックスな花をイメージしていたり、シャンペトルスタイルのような花をイメージしたりというように、一通りではなくなってくる。その言葉を使っている私がイメージしているものというものが言語の「自己表出性」、つまりその言葉の「意味されるもの」ということになる。そもそも言語のもつこの「意味するもの」と「意味されるもの」の間には、分裂やズレを伴うものではあるが、可能な限り近似化させることでコミュニケーションは成立しているといっていい。

ところが、この言語のもつ2つの側面が分裂し、多様化していっているのが現代というものの特徴である。それがイメージというものであり、非言語情報ということになる。つまりこのイメージの拡張が多様性の起源なのである。

言語の時代の終わり

前回の話に出たミネラルウォーターでも、掃除機でもその言語のもつ「指示表出性」という規範がズレ始め、ずい分と多様な「自己表出性」を持つようになった訳である。それが尽きるところまで行くと「商品の引越し」ということになり、それはそのもののもつアドレス変更をとらえることでしか発見することができなくなってきたのである。

この言語のもつ「指示表出性」と「自己表出性」が一致している時代が過ぎ去ろうとしている。そのズレを埋めるために言語の定義づけを明確にすることで、なんとか科学的アプローチは成立してきていた。だが21世紀はもう異なったフェーズに入っている。

ただこの言語のもつ2つの側面がまだまだ近似化している部分が、当たり前の生活領域では過半をしめているといっていい。たとえば「お花」といえばある基準の中に入るものが中心であり、「仏花」といえば40センチ丈の菊が中心の意味をしめている。また「贈花」といえば50センチ丈の豪華なバラであり、百合の花である。ところが、むしろその言語がもつ「自己表出性」が「指示表出性」からかけ離れていくことになった。雑草のようなものを中心にしたブーケや、シャンペトルスタイルのような野原に咲き乱れる花を束ねたようなブーケが商品として価値があるものになるのだろうか。フラワービジネスの一部の人たちは、初めはおっかなびっくりだったが、果敢にチャレンジしてきた。おかげで1つのマーケットを作ることに成功してきた。

これらのチャレンジのきっかけは、非言語情報の発掘であり、言葉のもつ2つの側面のズレにいろいろと仮説をたてる所からだった。ある意味言語の時代は終わっていっているといっていいだろう。

著者プロフィール

マーケティングプロデューサー 辻中 俊樹(つじなか としき)プロフィール画像
マーケティングプロデューサー 辻中 俊樹(つじなか としき)
青山学院大学文学部卒。日本能率協会などで雑誌編集者を経て、マーケティングプロデューサーとして現在に至る。
暮らし探索のための生活日記調査を開発、<n=1>という定性アプローチを得意とする。
インテージクオリスが運営するYouTube”Marke-Tipsちゃんねる”でも、
生活者視点、n=1視点での気づきを語っている。
代表的な著作としては、
「団塊ジュニア――15世代白書」(誠文堂新光社) 
「母系消費」(同友館)
「団塊が電車を降りる日」(東急エージェンシー)
「マーケティングの嘘」(新潮新書)
最新刊は「米を洗う」(2022年3月 幻冬舎)
など編著書は多数。

青山学院大学文学部卒。日本能率協会などで雑誌編集者を経て、マーケティングプロデューサーとして現在に至る。
暮らし探索のための生活日記調査を開発、<n=1>という定性アプローチを得意とする。
インテージクオリスが運営するYouTube”Marke-Tipsちゃんねる”でも、
生活者視点、n=1視点での気づきを語っている。
代表的な著作としては、
「団塊ジュニア――15世代白書」(誠文堂新光社) 
「母系消費」(同友館)
「団塊が電車を降りる日」(東急エージェンシー)
「マーケティングの嘘」(新潮新書)
最新刊は「米を洗う」(2022年3月 幻冬舎)
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