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非言語情報から仮説をたてる〈16〉
「沈黙」という言葉の本当の姿

言語の二重構造

言葉のもつ「シニフィアン(指すもの)」と「シニフィエ(指されるもの)」という構造から、行動や価値観の多様化というものをとらえることができる。これまで「花」、「贈花」、「ブーケ」という言葉が持っている価値が大きく変わってきていることを、例をあげて説明してきた。仏前などに贈る花という状況から想定されるであろう「ブーケ」のもつ「シニフィアン(指すもの)」から、具体的に現前化された花という物体はどんどんブレていき多様化しているのだ。つまり、一つの言葉のもつ「シニフィアン(指すもの)」と「シニフィエ(指されるもの)」の分裂と多様性をとらえることこそが、暮らしの変化をとらえるポイントであるのだ。

その分裂をとらえるには非言語情報の活用しかない。つまり実際に存在する花やブーケの具体物をフォトハンティングするしかないのだ。逆にいえばフォトハンティングされた暮らしのビジュアルシーンから、言語がもつ二重構造の分裂をみつけだしていくことこそが、鍵だといえる。

加えて言葉の持つ二重構造に着目すべきポイントは、この言葉そのものを解析の対象にする場合にある。マーケティングリサーチといった調査というものの大半は、言語で行われることになり、それを、言葉を使って解析することになる。その際、そこで拾いあげられた言葉というものの、どの側面をみているのかということである。つまり、「シニフィアン(指すもの)」と「シニフィエ(指されるもの)」のどこに焦点をあてているかということになる。

話されなかったこと

その最もいい具体例として前回、一首の短歌を引用した。

「好きだって一回打ってダメだって思って消しておはようって送る」(幻冬舎plus、2/29公開『また言えなかった「好きです」のひとこと…』より)

短歌としてもなかなか秀逸だが、言語の持つ価値の二重構造が日常の当たり前の体験として描きだされている。恐らく恋人同士かどうかわからないが、LINEという日常のコミュニケーションが二人の間で行われているシーンである。この会話の中で使用された言葉は「おはよう」という一言にすぎない。ではこの「おはよう」の「シニフィアン(指すもの)」は何だろうか。LINEの画面に表出された「おはよう」は、おはよう以外の何ものでもない。ところがこの「おはよう」という言葉の持つ本当のこと、かくされた「シニフィエ(指されるもの)」は「好きだ」ということになる。

「おはよう」という言葉に「好きだ」という「シニフィエ(指されるもの)」があるということは、言語の構造的には飛躍だと言っていい。妄想といっていいほどで、メタファーとして捉えることもとてもできないだろう。仮に彼女の側にこの「おはよう」という言葉から「好きだ」という「シニフィエ(指されるもの)」がもし成立しているとするならば、精神的な病に近いものがあるといってもいい。あるいは、最も幸福な関係性が成り立っているからかも知れない。

だから、精神の病は言葉の病ともいえるし、人間関係の問題は言葉が引きおこすものともいえる。この短歌は何気ない言葉というものによって日常に繰り返されていることをうまく表現しているが、言葉の持つ恐ろしさをも描きだしている。社会言語、法的規範としての言語である「おはよう」には「好きだ」という「シニフィアン(指すもの)」は、本来はないものである。ところが、そのコミュニケーションの関係性の中においては「好きだ」という「シニフィエ(指されるもの)」まで拡張することが可能なのである。現実関係の中では、「おはよう」が言葉として発語されたものであり、「好きだ」という言葉は「話されなかった」ものということになる。

「沈黙」という言語価値

日常生活の中では「話されなかった」言葉の方が圧倒的に多い。つまり、沈黙ということの方が言葉の持つ重要性ということだといっていい。「シニフィアン(指すもの)」と「シニフィエ(指されるもの)」という分裂と多様性を生む構造のもう一つ下層に「沈黙」という、発語すらされなかった心の動きがあるということができる。言葉にはしなかったこと、ぐっと飲みこんだことといった「沈黙」にこそ、言語の価値はあるといってもいい。さらに、この「沈黙」には、意識的に発語しなかったということと同時に、無意識の中にかき消されていった層とがある。発語されたという言葉の裏側にはこんな無意識の層が残されている。この無意識の層にこそ、心の葛藤などの動きがあったということになる。それを本人自身がわかっていたか否かにかかわらずだ。

調査ということは、発語すらされなかった部分をインタビューするということで、いくら根掘り葉掘り探ったとしても、本当のことには至りつかない。それは「シニフィアン(指すもの)」と「シニフィエ(指されるもの)」の分裂に加えて、この沈黙という言葉の構造があるからだ。いくら聞いてみたところで、聞かれた方でも「おはよう」という発語以上のことをしていなかったかもしれないし、それをインタビュアーに伝えようとするはずもない。「好きだ」という本当のことや、もしかしたら深層心理に隠されて葛藤されていることを、発語するはずもない。

ではこの無意識や沈黙という本質的な価値にはどう至りつけばいいのか。まず最低限言語のもつ奥深い構造に気がついておくことである。加えて、言語には至りつくことのできない、非言語情報を暮らしの底の方まで、さらいつくすことである。

それでは実際に、以下の写真を見ていただきたい。

たとえばこんな生活の断片から何を仮説立てることができるだろうか?言葉にならない沈黙をどう見つけるだろうか?

著者プロフィール

マーケティングプロデューサー 辻中 俊樹(つじなか としき)プロフィール画像
マーケティングプロデューサー 辻中 俊樹(つじなか としき)
青山学院大学文学部卒。日本能率協会などで雑誌編集者を経て、マーケティングプロデューサーとして現在に至る。
暮らし探索のための生活日記調査を開発、<n=1>という定性アプローチを得意とする。
インテージクオリスが運営するYouTube”Marke-Tipsちゃんねる”でも、
生活者視点、n=1視点での気づきを語っている。
代表的な著作としては、
「団塊ジュニア――15世代白書」(誠文堂新光社) 
「母系消費」(同友館)
「団塊が電車を降りる日」(東急エージェンシー)
「マーケティングの嘘」(新潮新書)
最新刊は「米を洗う」(2022年3月 幻冬舎)
など編著書は多数。

青山学院大学文学部卒。日本能率協会などで雑誌編集者を経て、マーケティングプロデューサーとして現在に至る。
暮らし探索のための生活日記調査を開発、<n=1>という定性アプローチを得意とする。
インテージクオリスが運営するYouTube”Marke-Tipsちゃんねる”でも、
生活者視点、n=1視点での気づきを語っている。
代表的な著作としては、
「団塊ジュニア――15世代白書」(誠文堂新光社) 
「母系消費」(同友館)
「団塊が電車を降りる日」(東急エージェンシー)
「マーケティングの嘘」(新潮新書)
最新刊は「米を洗う」(2022年3月 幻冬舎)
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