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非言語情報から仮説をたてる〈20〉
「あげもら」の核は「もらった人」

「あげもら」のチャンス拡大

これまで「贈花」ということを構成する具体的物体から、同じナズナという花の名前が持つシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の変化というものをたどってきた。このことから、同じナズナという言語の持つ価値をたどっていっても、その裏にある変化をとらえることは、とてもじゃないができないことがわかる。まさにナズナという具体的な物体、非言語情報を蓄積していく以外に方法がないことがわかる。そしてこのナズナという非言語情報を介して、関係付けられている「贈る人」と「贈られる人」がポイントだ。「贈る」「贈られる」という言い方を、もっと日常的な生活行動に近づけていえば「あげたりもらったり」ということになる。この「あげもら」行動が日常化することによって、この間で流通するモノの変化も激しくなっていき、加えてらせん状を描くようになった訳である。

「あげもら」の当事者たちには、生活体験や価値観が近似化したところがある。逆にいえば、この両者の体験価値が縁遠いならば、当然のことながら「あげもら」はなくなっていく。だから儀礼としての「贈り物」のマーケットは縮小していくのである。とはいえ、「あげもら」のモチベーションにはタイミングというものがあるのも事実である。中元、歳暮という儀式的行事としての側面はなくなっていくが、季節のもつ流れに対しては、より敏感になっていっている。だからこのタイミングでの「あげもら」はやはり活発なのである。加えて、それ以外にも「あげもら」関係にある人同士が持つ固有のタイミングというものも強くなっているので、自分たちにはあるが他の人にはない「あげもら」のモチベーションもあるのだ。

「あげる」ことの微変化

「あげもら」の対象となっている物品は、お互いの価値観が一致しているもの、あるいは共通の体験の価値のあるものといったことになる。だから「あげもら」の「あげる人(贈る人)」が選択している物品として一度選ばれたものは、よっぽどの問題が発生しない限り変更はされないものだ。むしろ、「もらう人」もその変わらないものの物品が楽しみとなり、その価値自体を感じとっていることになる。贈られてくるものに何か異なったものを選択されていたりすると、存分な説明と納得を要求されることにもなる。その点でいえば「変化しないこと」こそが価値であったりするのだ。

とはいえ、変化しないことが価値とはいっても、少しのリニューアルはあってもいいものだが、下手な理由づけをして大きく改変するよりも「微変化」が大切なのである。そして、またその「微変化」に気づいてくれるくらい、そのもらい続けている商品には親しみがあるはずなのである。それはブーケの例でいえばナズナに加えてカスミ草の花色を変えてみたりすることだ。そしてそれには必ず理由をつけ加えておくことである。

加えてお互いが納得して「あげもら」されている商品に、目立ったことではないが元々その商品が持っていた存在価値を示すことのできる情報を、それも言語情報だけではなく「非言語情報として」可視化して追加していくことができれば、大いに参考になる。たとえば国産米、それも特定の地域米で作っている米菓ならば、実際の田植えの風景などが一枚一枚の商品に追加されていることで、無言の体験価値の増大につながっていくことになる。

 「もらう人」を「あげる人」に

あるいは、この米菓という商品とは直接つながってはいないけれど、たとえば、育ち始めた稲穂の緑と水とカエルのいる風景という非言語情報が、無言でこの「あげもら」の商品に厚みを作っていってくれることになる。

これらのメッセージ活動はホームページやSNSなどでもいくらでも追加して発信していくことができるが、このメッセージの訴求、発信は何のために行われていくのか。「あげもら」の商品の流れをみると、「あげた人」から「もらった人」に動くことで終わる。両者の間で体験価値の共感と共有があったとしても、商品は一方通行で「もらった人」でとまってしまっている。実は「もらった人」は、この商品の体験価値の最大の賛同者であり、理解者なのである。本当はこの「もらった人」が、次にまた新しくこの商品の体験価値を「あげる人」になってくれることが、最大のマーケットチャンスなのである。

もう十分に商品の持つ背景や価値については理解してもらえている訳だから、たった一つでもいいから次に「あげたい人」に伝えておくことのできる新しいニュースがあれば、この上ないのである。それもシニフィアンとシニフィエが分裂することは間違いない言語情報ではなく、非言語情報であるといいと思う。「あげもら」の連鎖の広がりの中で、その価値が拡大していっているものをみれば、実は「もらった人」が次の「あげる人」に転換していっていることがわかる。

ブーケでたとえれば、ナズナ入りのブーケを「もらった人」が、そのことを気に入り、次にブーケを「あげる人」になった時に、このナズナ入りのブーケを選択するようになることだ。また、たとえば米菓を誰かに「あげる」時に、これまでの情報ではなく、カエルのいる田んぼという非言語情報である可能性は高いのだ。

加えて「もらった人」が「あげる人」に転換するポイントは、次に「あげる」対象に、他人ではなく、自分がなることである。「もらった人」本人が、「自分にあげる」ことになることが重要なマーケットなのである。その時に、どんな非言語情報が鍵になるのかが、重要なリサーチテーマということができる。

著者プロフィール

マーケティングプロデューサー 辻中 俊樹(つじなか としき)プロフィール画像
マーケティングプロデューサー 辻中 俊樹(つじなか としき)
青山学院大学文学部卒。日本能率協会などで雑誌編集者を経て、マーケティングプロデューサーとして現在に至る。
暮らし探索のための生活日記調査を開発、<n=1>という定性アプローチを得意とする。
代表的な著作としては、
「団塊ジュニア――15世代白書」(誠文堂新光社) 
「母系消費」(同友館)
「団塊が電車を降りる日」(東急エージェンシー)
「マーケティングの嘘」(新潮新書)
最新刊は「米を洗う」(2022年3月 幻冬舎)
など編著書は多数。

青山学院大学文学部卒。日本能率協会などで雑誌編集者を経て、マーケティングプロデューサーとして現在に至る。
暮らし探索のための生活日記調査を開発、<n=1>という定性アプローチを得意とする。
代表的な著作としては、
「団塊ジュニア――15世代白書」(誠文堂新光社) 
「母系消費」(同友館)
「団塊が電車を降りる日」(東急エージェンシー)
「マーケティングの嘘」(新潮新書)
最新刊は「米を洗う」(2022年3月 幻冬舎)
など編著書は多数。

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