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非言語情報から仮説をたてる〈22〉
源氏物語とGoogle Map

「藤袴」というシニフィエの花束

ようやく秋が深まり始めた。ダテカンバの紅葉や藤袴の花も満開を終えつつある。というような文章からそのコミュニケーションとしての意味をたどるのは相当難解な気がする。まずたとえば、藤袴である。一般的な日常生活の中では、目にすることも言葉にすることもない秋の草花である。秋の七草の最後に咲き誇るものだからその名残りなどがメタファーになることも多い。

秋の七草とはいっても、ききょうなどは梅雨時に満開を迎え、どこが秋の七草かと思ってしまう。野の草花好きならば別だが、どんなメタファーからくるのだろうか。そんなことから名残りや実らぬ恋などにイメージとしてよく表れたりすることがある。

その代表が源氏物語第30帖の「藤袴」の事ということになる。主人公の玉鬘に対して夕霧が、その恋心を藤袴にたくして手渡そうとするという場面がある。

「同じ野の露にやつるる藤袴 あはれはかけよかことばかりも」という歌と共に藤袴の一束を渡そうとする場面が有名である。古典を読むのは難解であるのは当然とはいいながら、その一つにはここに書いた藤袴の情景がほとんど言語情報だけに頼らざるを得ないことが、その原因だといっていい。ここに現れている主題そのものである藤袴が、現代人にとってはまず可視化情報ですらないということである。言語の持つ固有の情報、ここまでの連載でいってきたシニフィアン (意味するもの)を唯一たどっていくしかないのである。たとえば秋の草の中では一番最後に咲くことで、名残りなどの意味を持つといった論理的なシニフィエ(意味されるもの)をたどりつつ、解釈していく以外に方法がなくなってしまう。だから古典を読むのはほぼ無理になってしまうのだ。

ところが現代では、藤袴というものの可視化情報を、ネットを使えば簡単に手に入れることができる。このことだけを通してもシニフィエ(意味されるもの)に近似化しやすいが、それでもこの歌を感じ取るのは難しい。源氏物語が書かれ、読まれていた時代は、もっと簡単に読まれ親しまれていたのである。その理由の一番重要なポイントは言語がもつシニフィエ(意味されるもの)が、そのままイコール可視化情報だったからである。

シニフィエという前提情報

恐らくこの物語の表現には、抽象的なシニフィアン(意味するもの)など存在していなかったといっていい。夕霧が玉鬘に手渡そうとした藤袴そのものが、この物語を読んでいる全員にとって具体的に眼に見え、手で触わることもできていたといっていい。具体的な言語になる手前にあるシニフィエ(意味されるもの)の感触が可視化されていったといえる。もっと言えばその藤袴はどこの屋敷のどの庭の、どの場所から手折られたものであるということまで共有されていたものだと言える。だからこそ源氏物語というものも、みんながスラスラとたしなんでいたといえる。

現代のコミュニケーションの発達はシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の分裂と多重化にある訳だが、ある意味ネットというツールは、このシニフィエ(意味されるもの)の複雑化を、可視化情報として共有化することで直接的、一義的にすることができるようになった部分でもある。

たとえばネット上の藤袴の可視化情報からは、源氏物語の時代の藤袴の持つ意味に、容易にたどりついていくことができるだけでなく、さらに解釈を拡張していくこともできるのだ。
平安人たちが何故藤袴という草花を愛でようとしたのかを想い起こすこともできるだろうし、また現代社会の中における藤袴という草花の持つ、全く新しい価値の創出の物語をみつけていくこともできるのだ。たとえば藤袴は、これまでもこの連載で述べてきたように全く新しいシャンペトルスタイルのブーケの材料の価値を持ち始めたのである。これまでは花材として注目もされなかったものが、生まれでていくきっかけでもあるのだ。

可視化情報の拡大

加えて、この新しい花材がガーデンシーンとして拡大していく風景も増え始めている。これもある種ネットというツールの持つ力でもある。たとえば、源氏物語、玉鬘、藤袴という具合にネットをたどっていくと、全国にある藤袴の密集地のアップにつながっていくことになる。

源氏物語というものは、今やGoogle Mapで読む時代なのである。

そんな藤袴を可視化していった中に、たとえば、長野県宮田村の藤袴畑を可視化情報として見ることになったりするのだ。もちろん、それだけにとどまらず全国各地に広がっている藤袴を見つけ出していくことになる。平安人には自らの日常生活圏という可視化範囲でのみ感じていた藤袴に対する感受性を全国規模に拡張していくことができるのだ。

そして、この可視化情報には補足情報があり、たとえばアサギマダラという旅をするタテハ蝶の情報が重なってでてくる。今はアサギマダラではなく別種のタテハ蝶の存在ではあるが、 文章にはたまたまされていないだけで、平安人のもっていた可視化情報を共有化することもできたりする。ある意味言葉の成立以前の世界、シニフィアン(意味するもの)誕生以前の世界である。

ちょうどこのプロセスに言語の持つシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の構造を発見していくことができるのだ。

このように平安人と同じような可視化情報を持つことができた現状だからこそ、源氏物語のもつシニフィアン(意味するもの)の入口に容易に立つことができた。源氏物語とGoogle Mapが重なったポイントである。

著者プロフィール

マーケティングプロデューサー 辻中 俊樹(つじなか としき)プロフィール画像
マーケティングプロデューサー 辻中 俊樹(つじなか としき)
青山学院大学文学部卒。日本能率協会などで雑誌編集者を経て、マーケティングプロデューサーとして現在に至る。
暮らし探索のための生活日記調査を開発、<n=1>という定性アプローチを得意とする。
代表的な著作としては、
「団塊ジュニア――15世代白書」(誠文堂新光社) 
「母系消費」(同友館)
「団塊が電車を降りる日」(東急エージェンシー)
「マーケティングの嘘」(新潮新書)
最新刊は「米を洗う」(2022年3月 幻冬舎)
など編著書は多数。

青山学院大学文学部卒。日本能率協会などで雑誌編集者を経て、マーケティングプロデューサーとして現在に至る。
暮らし探索のための生活日記調査を開発、<n=1>という定性アプローチを得意とする。
代表的な著作としては、
「団塊ジュニア――15世代白書」(誠文堂新光社) 
「母系消費」(同友館)
「団塊が電車を降りる日」(東急エージェンシー)
「マーケティングの嘘」(新潮新書)
最新刊は「米を洗う」(2022年3月 幻冬舎)
など編著書は多数。

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