暮らし先読み、後読み予報~生活リズムの予兆を<n=1>からみる(18)「手抜き」と「手間抜き」
~蒸しセイロとノープレート~
盛りつけは「手抜き」したい
とうもろこしや枝豆などに代表される蒸し野菜やゆで野菜の登場の仕方をみていると、そのメニューやアイテム以上に、「暮らしの中での役割の果たし方」から多くの気づきがある。
それに気づき、仮説を立てるためには、暮らしや生活シーンの可視化(見える化)が不可欠だ。その際、キッチンダイアリー®のような定量データから感知したポイントと、フォトハンティングのような行動観察を、重層化させることが大切なのである。
たとえば、蒸し野菜というメニューについて考えてみよう。
前回も述べたが、現在の食卓はワンプレート化やノープレート化が進んでいる。この事実が暮らしの中のシーンにおいて、どのように結びついているのか?と考えてみると、次の暮らしの仮説を掘りおこすことができるのだ。
そうすると、蒸しセイロという調理道具がノープレート化を促進している1つの鍵であるということに気づくことができる。そして、「手抜き」と「手間抜き」との暮らしの中での差異を発見することができるのだ。この二つは、響きは似ているものの、意味は全く異なってくる。
この写真のように、セイロ蒸しをわざわざ調理プロセスの中で行っていることは、「手抜き」とは正反対の加工である。むしろ手間暇をかけているということになる。ところが、それがそのまま食シーンに登場することで、“盛りつけ”や“セッティング”という手間からは完全に解放されることになる。そこが「手間抜き」の価値の提供になる。
タッパーウェア、ジップロックは便利な冷蔵、冷凍保存ツールであると同時に、この最後の「手間抜き」にも貢献していると言える。蒸しセイロもその価値にピッタリと当てはまっている。メニューや調理というプロセスにだけ視点を当てずに、もっと広げた視野で暮らしをみておく必要があるということだ。
「手作り」しゅうまいも蒸しセイロ
この蒸し野菜をノープレートで楽しんでいるファミリーたちが、この蒸しセイロを活用している別のシーンを紹介しておこう。それは手作りしゅうまいである。横浜中華街の照宝というお店で手に入れたリッチなセイロには、これこそがピッタリなものといえる。
ここにはこだわりがあり、今や100均などで気軽に手に入れることのできる蒸しセイロだが、彼女の中では100均はノーなのである。彼女は、今回豚ひき肉をこねてしゅうまいを手作りしようと朝から決めていた。休日の楽しみの一つでもあるのだ。ここでは市販の冷凍食品のしゅうまいを選択することはない。
下ごしらえや調理加工からみても、しゅうまいは失敗も少なく、多く作って冷凍しておくこともできる極めて効率の良いアイテムなのである。また、小学生の上の娘がお手伝いに参加してくれるので、家族のコミュニケーションにもつながり、さらに付加価値の高いものになる。余談だが、このファミリーが手作り選択するメニューには、パンケーキ、クレープ、お好み焼きなど、いったんは手間をかけるが、後々手間抜きしやすい効率の良いものが選択されている。
この手作りしゅうまいが蒸されて食シーンに登場するのだが、当然このセイロのままであり、ノープレート化したシーンを形成することになる。初めからそのように計算されているといっていい。調理プロセスからその際に活用する道具、そして食シーンを形成するところまでの一連のストーリーとしての価値が、この蒸しセイロが提供していることになっている。
しゅうまいというメニューには、蒸しセイロこそが似合っている。だが、ボウルに入った枝豆、そしてノープレートのマグネットとしてのみそ汁、これらのアイテムが並んでいるのをみると、やはり食べるシーンでの「手間抜き」こそが、ポイントだということがハッキリわかるのだ。
野菜は「手抜き」の味方
以前に紹介したこのファミリーたちの、蒸し野菜をこのセイロで作って食べているシーンをもう一度みておこう。
このシーンを形成している基本的なニーズは時短であり手抜きといっていい。仕事が少し遅くなったので、晩ごはんを用意する時間も気力も欠け落ちていた。ストックされていた野菜の中からとうもろこしとじゃがいもを抜き出し、いろいろ細かく切るのも面倒なので蒸しセイロに放り込まれたのである。これは純粋に「手抜き」という気持ちにあふれており、これが食卓にでてくる時にむしろこの蒸しセイロのまま登場することが、下手な盛りつけをするよりも「手間抜き」によって価値が上がることにつながっているのだ。
「手抜き」時短をしながら、「手間抜き」によってノープレートの満足感のある食が成り立ち、加えて野菜を中心にしたヘルシーな食シーンが結果成り立ったという訳だ。ここでは蒸し野菜というメニューを選択したのは、健康という価値ではなく、「手抜き」時短という、やむにやまれぬニーズだったといっていい。このやむにやまれぬ「手抜き」を、満足のある食シーンに紡いでいくことができたのは、この蒸しセイロのおかげなのである。
野菜を食べるということを一義的に健康価値に結びつけることは錯覚であり、野菜メニューの最大の価値は「手抜き」の実現だという気づきは、この蒸しセイロという道具が教えてくれることなのである。
暮らしのシーンを旅する
単に蒸し野菜というメニューの登場ということだけをみるのではなく、蒸しセイロという道具や、さらにそれが単に調理道具だけにとどまらず食シーンを完結させるための必須のものであることまでをみることで、様々な気づきや仮説に至りつくことができる。
それが食シーンのノープレート化という流れに結びついていくことを想像するためにこそ、行動観察が必要なのである。この行動観察は、別の言い方をすれば、カスタマージャーニーということになる。生活者の暮らしの実際のシーンを旅することである。
その旅をすることで、同じシーンの中にボウルに入ったままで登場する枝豆というものに出会うことにもなるのだ。この枝豆はゆでるという調理プロセスによって手間はかかっているが、食シーンにはボウルのまま出てくることで「手間抜き」を実現しながらシズルにつながっているのだ。
さらにこのノープレート化した枝豆とボウルをみていると、食であるのか、つまみであるのか、間食としてであるのかという境界線がどんどんなくなっていっていることも、一つの傾向として発見していくことができる。
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