非言語情報から仮説をたてる〈21〉
「米騒動」という非言語情報
可視化情報の扱い方
ここにきて「あげもら(あげたり、もらったり)」に表わされている消費構造を支えている価値観がクローズアップされることになっている。それは「米」の消費構造の変化である。たまたま今、「令和の米騒動」というような表現をされている、米の供給不足という事態だ。まさにスーパーの店頭から米そのものが消えていっているような可視化情報が最大の影響になっている。確かに、小売店の店頭から米という商品そのものの姿が消えていっていることは事実である。その背景には8月に発表された南海トラフ地震臨時情報のインパクトがある。発表後少なくとも10日から2週間あたりは、最大の警戒が必要であることに伴い、たとえば食料品の備蓄の促進といった具体的な情報を、科学的情報として流された。
これによって米の備蓄が実際に始まった訳である。特に今年の米の収穫が落ちこんでいる訳ではないので、需給が瞬間的に狂ったことに合わせて、流通プロセスでの蓄積された矛盾が輪をかけたといっていい。今年の秋の収穫が終わったところで、この数量的誤差は解消されるとはいえ、やはり南海トラフ地震臨時情報のインパクトと、店頭での米不足はその映像情報として、影響は大きいものがあったといっていいだろう。
米の消費そのものが、大きく「あげもら」になるとはいいがたいが、その構造がもつ方向へと近づいていくことは間違いないといえそうだ。都会の消費地では米という物体は店頭から消えていっているかも知れないが、生産地における可視化情報でいえば、たわわに実った稲穂の恵みということになる。これが非言語情報としての、米そのものである。
具体的な地域名が名示された生産地における米という存在を見ることで、この「令和の米騒動」といった空虚なイメージは消えていくことになる。そのことは、つまり自分自身が消費していくであろう米というものが、具体的な生産情報として可視化されることで最も価値が高くなる。つまり、経済行為として「あげる」(=売る)「もらう」(=買う)ではあるが、その背景にある価値観は、「あげもら」を支える「あげる人」と「もらう人」の関係に近似化していっている訳でもある。
“縁古米”と「あげもら」
米の生産消費を支える流通という面でみれば、恐らく契約による予約だ。さらにいえばこの時に予約しているものは、具体的な米でありながら、その生産に伴う可視化情報、非言語情報そのものだといっていいのだ。具体的には、この田んぼで、こんな人達が米づくりを行い、間もなく代かきが始まり、具代的に田植えが始まり、いろいろと課題を克服していきながら、すくすくと稲が育ち、収穫に近づいていくという、季節、時間軸の入った可視化情報こそが、その予約された価値である。
このことはまさに、「あげもら」を支えるお互いの価値観の近似化と同様だといっていい。そのことには予約ということを通した売買という経済行為ではありながら、その背景の価値観は「あげもら」を行うお互い同士そのものだということができる。
遠い過去、1960年代や70年代あたりには、米の生産と消費の間に、“縁故米”という一定の消費構造があった。都会にでていった子供たちの世代に向けて、田舎の実家から一定量の米が送られてきた。つまり贈与があったということである。現金の贈与は難しくても、毎年新米の季節になると実家から米というものが贈与はされてきた訳である。実家で作った米は美味しいということもあれば、豊かになっていく都会では、だんだんと米というものの贈与もありがたくなくなっていくことの相乗で、やがて“縁故米”というものが、消費の一角をしめるということも希薄になっていったのである。この時の米はやっかいものとしての価値になっていき、ものとしての価値は消え去っていったのである。つまり、このものには価値を共感しあう非言語情報が欠落していたからかもしれない。これが「あげもら」との根本的な違いである。
今ではこれが「あげもら」の価値に転機していき、加え非言語情報、可視化情報こそがこの共感の価値を支えあうことになっていったといえる。
「そば」という「あげもら」
このような米作りの価値を維持していることのできる中山間地の田んぼの一角には、何故かそば畑が広がっていたりすることが多い。ちょうど稲刈りが近づきつつある田んぼの一角に、稲穂に交じって、そばの花が白く咲いていたりする。
これも一つの風景、非言語情報そのものである。このそば畑は生産地としてみればあまりにも経済効率にはあわないように狭いものである。ある意味商品として流通させることは難しいといえる。たとえば自家消費としてのそばの生産ということもできる。加えていえば、まさに言葉通りの「あげもら」の対象物であったりすることがある。メインの予約生産としている米の消費者に対して、まさにおまけとしてのそばのプレゼントであったりもする。そばとしての食品としての「あげもら」としてだけでなく、そば茶などにしてまさに「あげる」ことになり、その「もらう」ことになった米の予約消費者にとっては、単なるおまけをもらった訳ではなく、こういった生産地での暮らしそのものを可視化して「あげる」ことになった訳である。非言語情報からたてることのできる仮説には、人の営みそのものが可視化されているからこそ、新たな価値を生みだすことになったといえる。
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