暮らし先読み、後読み予報~生活リズムの予兆を<n=1>からみる⑤~1枚のレシートから見えること
マーケティングプロデューサーの辻中俊樹が<n=1>を通して得られた暮らしの文脈を可能な限り共有するために可視化・物語化していく連載企画。
今回は1枚のレシートから生活文脈を読み取ります。
高級食パンのこれから
快晴の冬の土曜日午前、電動ママチャリがコインランドリーに爆走していく。日常的な生活動線では接点のないブランジュリーに足を伸ばし、高級食パンを買いこむのだ。購入した食パンは、午後にはママ友の所に<あげもら>として動いていく。どちらのママもこの食パンは冷凍庫へ入れる。パンたちの住まいは冷凍庫であることが定着しているからこそ、この一連のストーリーは成立する。これが暮らしの文脈、生活文脈ということになる。
一つ一つの出来事は、それぞれがバラバラの個別事象に過ぎないのだが、これらが文脈としてつながったところに暮らしがあり、消費が成立し、欲求というものの連鎖がある。これは高級食パンのブームだけをみていても背景がわからない。過剰な高級食パンブームはもう去っていくだろう。ただし、この物語の背景をみておけば、定着していくことと、次の暮らしの欲求について仮説を立てやすいのだ。
快適さを求めたコインランドリーと生活動線が結びついたからこそ、この高級食パンの消費モチベーションが湧き上がる。エモーションの連続であり、そのあとに<あげもら>という行動によるママ友の楽しそうな顔が浮かびあがることで、この消費が彼女たちの暮らしの価値を上げることが予想できる。そして、冷凍庫という住まいとのつながりがあるから、この暮らしの文脈はさらにポジティブの連鎖である。その意味では、高級食パンというモノが変化しても、これらの底にある暮らしの価値は続いていくのだ。
1枚のレシートから見えること
これらの一連の流れが暮らしの文脈、生活文脈ということだが、今回はこの生活文脈ということをもう少し詳しく述べてみる。n=1という視点、方法でなければこれを把握することは困難である。
ここに紹介するのは一枚のレシートである。
もう70代になった一人住まいのおばあちゃんのある日の買い物行動の軌跡の一つである。最寄りのヤオコーというスーパーに夕方の5時くらいに買い物に行った結果のデータだ。この一枚のレシートに表れている購買記録が膨大に集約されたものがPOSデータというビッグデータになる。
どんなアイテムがどんな性、年齢の人たちに、どんな時間帯に売れていったかということを、数量データとして捉えることができる。また、どのアイテムよりもどのアイテムの方がどれくらいよく売れたかや、どんな価格帯だったのかも明確にわかる。ただ、そこまでが限界で、その買われたものが暮らしの中で、どのように利用されたのかまるでわからない。
POSデータには生活文脈は一切ない。せめてそれを推測していくために、この一枚のレシートに表れた購買行動に何らかの関連性をみつけだすことができないかということで、バスケットデータという視点で解析することもできる。弁当とペット茶が関連して買われていることが多いことがわかれば、そこに何らかの文脈をみつけだすことができる。とはいえ、実際にはほぼ何もみつけだせない。
なぜならこの一枚のレシートから、かすかにでもその関連性の仮説がみつけだせなければそれをいくら量的に増やしても無理な注文といっていい。
ベントウとチラシはどうなるのか
少しだけこのレシートデータに補足を加えてみる。ナマメカジキは素材としての魚だから、この日の夕食の材料になるのだろうか。ところが、チラシとベントウというアイテムが同時に購買されている。ということはこの魚は買い置きということで、夕食は弁当なのだろうか。正確に言うとこのチラシは「チラシ寿司」であり、ベントウは「さばの照焼きと八種和菜の煮物と十六穀米弁当」である。一人住まいのシニア女性が弁当とチラシ寿司を一食で食べるはずもなかろうし、これもどちらかが買い置きなのだろうか。トウフはある意味買い置き、常備品の買い足しということだろうが、これはどのように消費されていくことになるのだろうか。
結局のところこのレシート一枚の購買データからは、本当の暮らしの実像はほとんどみえてこない。つまり生活文脈が捉えられない限り、生活価値や消費のモチベーションを捉えきれないままになってしまうのだ。本当はこのレシート一枚こそが暮らしを知るための情報の宝庫であり、背景にある生活文脈を加味していくことで様々な気づきを与えてくれるものなのだ。
その生活文脈をみるために、その日の夕食のシーンの写真を次に紹介しておく。
弁当は主役ではない
まずはヤオコーで買われた弁当はすぐ後の夕食で食べられることになった。弁当単品が食べられたのではなく、そのまわりにつけあわされた漬物類の豊かなこと。そして味噌汁があり、デザートとしてのリンゴ半分もまわりを取り囲んでいる。むしろ弁当よりも大きな面積を占めているくらいだ。ヤオコーの弁当は、この夕食での主役ではないのだ。食べたい欲求を満たすものが、ほぼ同じくらいの比重であふれている。きゅうりのぬか漬け、タクアン、白うりの粕漬など、夏の季節感あふれるアイテムたちこそが、食べたかったものなのかも知れない。
そして味噌汁は豆腐と小ねぎ、みょうが入りであり、このレシートにあるとうふはこんな利用のための買い足しだったことがわかる。ここでもみょうが入りということがポイントだった。これは暑い真夏の夕食であり、季節感と旬があふれている。
スポーツジムで汗を流して帰る途中に「ヤオコーに夕食の買い物をしようと立ち寄ったら、本日の「広告品」というのでお弁当が目に入り、大好物の煮物が沢山入っていたので買いました。ごはんは多すぎて半分は残してしまいました」というのが実際の生活文脈の一つなのである。
こんなところからも気づきがえられる。POSデータの定量分析をすれば、弁当の中のさばの照焼きが売れたということになってしまうが、このおばあちゃんにとっての価値は八種和菜の煮物であり、この夕食全体をみると野菜の食べ方のバリエーションとして煮物のおいしそうな弁当を選んだということになる。
n=1からしかみえない<簡便>の奥深さ
夕方に弁当が買われたということを定量的に拡張していけば、シニア一人住まい女性の簡便志向のニーズに単純に帰結していってしまう。だが、簡便を求めてということの中身が、本当はもっと異なっていることには気づかない。野菜の煮物というアイテムについては、この弁当に対して簡便性を求めてはいるが、食シーン全体にはこだわりがある。
それでも彼女たちの価値観からいえば、「作ったのはお味噌汁だけ。とても楽をしてしまいました」となる。楽とか簡便とか言っていることのレベルと内容が全く異なっているのだ。
生活文脈を捉えるというのは、たとえばヤオコーで買われた弁当がどのように食べられ、どんな文脈の中でその価値が感じとられていたのかを見つけ出すということなのだ。そこを捉えられなければ、すべては簡便という数量化されたデータだけになってしまう。
この夕食の登場する日の生活文脈がどうなっているのかがわかるように、本人記載の生活日記を紹介しておく。
n=1というのは、対象サンプルが一人なのかどうかという数量のことではなく、生活文脈を連続的に捉えることこそを意味する。
この生活日記に記載された生活の流れそのもののことがn=1という文脈情報である。この一人のサンプルの一週間として、この日記7枚分であっても、複数のサンプルの複数枚の日記情報であっても、基本的にそこから生活文脈を捉えるという意味で、すべてn=1の情報なのだ。
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