暮らし先読み、後読み予報~生活リズムの予兆を<n=1>からみる⑧~麻婆豆腐は中華料理なのだろうか?~
目次
「お弁当」の中のシュウマイは中華?
前回は「食べ方」という視点から、「お弁当」というものの暮らしの中での実像を覗きこんでみた。一つの特徴として、「お弁当」という「食べ方」には、それを決定づける素材やメニューという因子がほとんどないということであった。たとえば、雑多な残り物が「お弁当」という器に詰め込まれるだけで、全く新しい価値を生みだしているのだ。
シュウマイというアイテムが詰められていたからといって、中華風のアイテムが勢ぞろいしている訳でもない。卵焼きやウィンナーといったものと共存していることで「お弁当」らしさが演出されているともいえる。これが「お弁当」が持つ魔法なのだ。「お弁当」らしさを特徴づけるアイテムを探すとすれば、たとえば「おにぎり」がそれに当たる。「おにぎり」が魔法使いの正体になっている傾向をみつけることができる。
「ベランダ弁当」も、この「おにぎり」が重要な鍵になっていた。ただ、「おにぎり」でなければ「お弁当」という価値を作りだすことができない訳でもない。この「おにぎり」というものも、「食べ方」の魔法の一つであるが、このことはまた次回以降で掘り下げてみるつもりだ。
以前紹介した、おばあちゃんがヤオコーで買った「お弁当」は、「売り方」としてみれば、さばという魚を核とした和風の弁当だった。ただ、実際の「食べ方」でみれば、和風の魚料理を食べることが念頭におかれた食シーンでは決してなかった。
言語と可視化を重層化しておく
いずれにせよ、この「食べ方」ということをとらえるためには、基本的に言葉を収集してもだめなのである。言葉だけでとらえると、さばの照焼きが中心にフィーチャーされてしまうことになる。大切なのは具体的な食シーンの実像を可視化して把握することだ。
この連載で、できるだけ実際の食風景の写真を示すようにしているのはそのためである。これはリサーチの手法としての言い方をすれば、フォトハンティングということになる。言語というものは一義的に対応した意味によって共通理解する道具である。ただそれぞれの言語に対する意味づけは多様なのである。
とりわけ「食べ方」ということでいえば、大幅なズレが生まれてしまう。もっといえばそのメニューやアイテムに素直に対応した言語が存在しないことも多々あり、伝統的な共有化されているはずの意味と実像が全くズレていることもある。
先程例にあげたシュウマイを例に挙げてみよう。シュウマイというアイテムと中華総菜という意味が一対一で結びついている可能性はどんどん減っていっているのだ。冷凍庫に入っている「ちょっと一アイテム不足を感じた時の使い勝手のいいおかず」ということになっているかもしれない。そう考えると、和風、中華風、洋風、はたまたインド風なんて概念は遠い過去の、絶滅危惧種的な概念なのかもしれない。
「麻婆豆腐」だからといって中華というレッテルは張れない
まず、その典型的な例を一つ挙げてみよう。「麻婆豆腐」というメニューがある。この言葉から想起するものは、ほぼ全員同じものといえる。ひき肉と辛味味噌を使った豆腐の料理であり、想像する色あいなどもほぼ同じものをイメージするだろう。中華風の定番中の定番である。だからといって中華風メニューということだけで理解したつもりになっていると、どうやらそうでもないのだ。とりわけ「食べ方」という暮らしの文脈でみた時には、全くそうではないことによく遭遇する。
ここに紹介した食卓は夫婦二人暮らしの間もなく四十代になる女性からのフォトハンティング情報である。まず明確なのは中華料理の定番中の定番である「麻婆豆腐」が、食卓に並んではいるが、この食シーン全体は中華風というイメージとは全くかけ離れたものであることだ。
この彼女は料理スキルが高くこの「麻婆豆腐」ももちろん手作りである。ひき肉という素材から炒めて作っている。ただ味つけに関しては生協のレトルトソースを使っている。レトルトソースを味つけに使うということは、手抜き簡便ではない。それが一番おいしさへの近道だということを、料理スキルがある人ほどよく熟知している。だからといって彼女に対して「手作り派」というレッテルを張ることは間違いである。そういう場面もあるということである。その話は後ほどする。
何故か「麻婆豆腐」の隣には、ぶりの照焼きがあり、さらに大根とにんじんの酢の物風の和え物があり、煮豆が写っている。和え物は残り物であり、煮豆は常に冷凍庫に入っている生協の総菜である。この「食べ方」には中華風という統一的、あるいは画一的な概念はまるでないといっていい。食べたいというイメージが湧いたものがランダムに並んでいる。これが「食べ方」というものの実像である。
冷蔵庫在庫一掃というスイッチが入る!
もう一つ同じく「麻婆豆腐」のある「食べ方」の実像を紹介しておく。四十代の子供二人がいるママのある日の夕食シーンである。この「麻婆豆腐」もレトルトソースを使った手作りである。この食シーンのために、その時に実際に作られたのはこの「麻婆豆腐」だけだった。
「手作り派」と「残り物派」の寄り合いになっている。そして、この「麻婆豆腐」というメニューをこの夕食に作ったのは、「賞味期限が切れた豆腐が残ってしまっていたのを何とかしたかったから」なのだ。中華の定番の「麻婆豆腐」を是非食べたいというスイッチが入った訳ではない。冷蔵庫の在庫一掃スイッチがメインだったのである。
隣には前夜、夫が休みだったので作ってくれたヒレカツがあり、これも残り物の蒸し野菜、そしてブロッコリーを中心にした野菜サラダ風が並んでいる。この「食べ方」のシーンを覗いてみると、むしろこの「麻婆豆腐」というメニューがなくても、ちゃんと成立している気がする。
あえて言えば、「麻婆豆腐」がない方が、ヒレカツセット定食的な統一感がある気がする。「麻婆豆腐」ということで、中華風食卓をイメージした訳ではない。冷蔵庫在庫一掃スイッチがオンであり、翌日にこの「麻婆豆腐」はまた残り物として、多様な組み合わせの「食べ方」を構成する要素となっていくのだ。
その文脈が分かると、「食べ方」には○○風といった言葉だけが持っている概念が欠落しているといった方が、暮らしの実像に近いことが分かってくる。
「ナン」という素材の「全体最適」をみると。
次の写真は先に紹介した夫婦二人の別の日の夕食シーンである。この日の夕食シーンの「食べ方」の魔法のスイッチを押したのは「ナン」である。とにかく「ナン」を食べるということがテーマだった。夕方OKストアに行きいろいろな買い物をし、その中のひとつに「ナン」があった。OKストアに行けば必ず「ナン」に手が伸びるそうだ。三枚で三百円もしないし、これがなかなかモチモチしておいしいらしい。
さて、この夕食シーンの「食べ方」の魔法をかけた正体は「ナン」ということで、この魔法使いはインド風のサリーでも着ているのかと思いきや、むしろ和装に近いかもしれない。冷凍パックの和風総菜のセットがセンターに並び、豆の煮物があり、残り物のトマトのラタトゥイユ風が並んでいる。
「ナン」を核に考えれば、インド料理風の概念をすぐに発想しがちであるが、まったくスイッチの押され方と「食べ方」の文脈は異なっているのだ。もはや申し訳程度の「ナン」の「食べ方」のバリエーションとして夫側の方にカレーが写っている。これはコンビニのセブンイレブンの“セブンプレミアム金のカレー”である。この日の「食べ方」はほぼ「手作り派」ではなくなっている。
このように暮らしの中の生活動線と魔法のスイッチがどこで押されたのかを、生活文脈として見ておくことでしか、起こっている変化の兆しをとらえることはできないのだ。
私の言葉でいえば、この「ナン」も「麻婆豆腐」も「部分最適」の典型である。シュウマイもそうであり、「部分最適」の食アイテムの集積として「食べ方」がある。「全体最適」はその結果であり、「全体最適」の概念も変化していっているのだ。インド料理風、中華風といった古い規範とは異なったところに「全体最適」があることを生活文脈は教えてくれている。
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