非言語情報から仮説をたてる〈4〉
「可視化」することで変化を深堀りする
「お米」という言語を「可視化」
生活の変化をとらえるために、その暮らしの実態を「可視化」しておくことの重要性を何度も述べてきた。前回は「暮らしの断片や生活行動の軌跡という非言語情報は、言葉通りFactという可視化情報だ」という言い方をした。生活行動の軌跡というものは言語として蓄積していくことが当然可能ではあるが、この言語が表象するものはFactとは言い切れない。
私が理解している言語の定義と、別の人の使っている言語は、同じ固有名詞を利用していても定義が異なっていることもある。その定義のズレ、つまり多様化というものが生活の変化そのものともいえる。多様性がますます広がっていくにつれ、この言語の定義の多様性が広がっていくだろう。
前回で紹介した子育てパパの暮らしの中での「お米」というものの存在の実態について説明した。つまりFactはその多様性、定義の拡散そのものを表しているといえる。たとえば家に「お米」はあるかといわれれば、「お米」はあるということで3人は共通である。ところがその「お米」のあり方には微差があった。その微差というものは、非言語情報、つまり暮らしを可視化した情報でしか発見できないものである。
このように言語が表していることの定義と、実態がもつ微差の間がますます広がっていることが、生活の変化だといっていい。暮らしの変化の予兆をとらえるためには、言語をさらに超えて可視化情報が重要になっているのだ。
「お茶わん」ごはんという定義
述べたように、「お米」という言語ですら生活の中では、定義がそれぞれ多様になっている。ましてや、その「お米」の具体的な食べられているシーンになれば、その定義はさらに各人各様バラツキが激しくなる。
その「お米」が調理されて食べられているという食行動は、「ごはんを食べる」という言語で表現されることになるが、これほど実態と離れた言い方はない。「ごはんを食べる」という言語が表現することになる生活シーンは、驚くほど多様になっている。私とあなたとの間で全く定義が一致しないということが実態なのである。
ある人にとって「ごはんを食べる」という言語が定義する食シーンは、基本的にお茶わんに盛られた白いごはんを想定することがある。炊きたてのアツアツごはんがお茶わんに入って食べられているというシーンこそを想起する、という定義もある。時代の変化で炊きたてという定義が後退し、冷凍ご飯をレンジでチンしてお茶わんに入れて食べるという定義へと多様化の一歩を踏み出している。現在では共有されている定義の重層化、という暮らしの実態といえる。
ところが白いごはんをお茶わんに入れていないシーンも多く出現してくる。たとえばワンプレートごはんなどはその典型である。おかずなどと同じプレートに白いごはんが盛られている食パターンだ。
それらの定義の拡張のために、「ごはんを食べる」という言語ではなく「お茶わん」ごはんを食べる、あるいはそうでないかは定義を分けておく必要があるといっていい。同じ「ごはんを食べる」ということなのに、定義の異なった言語を指定せざるをえなくなる。 つまり、言語も多様化されていくことになるが、その変化と予兆は非言語情報、暮らしの中の可視化データからみつけだしていくことしかないのだ。
その変化を起こした本人自身が、そのことに無意識であり、自覚的な定義の明確な言語にすらなっていないからである。非言語情報、可視化情報は、言語の定義づけの多様化の予兆を発掘、深堀りするポイントだといえる。
「固有名詞」の定義の多様性
このあたりの変化のポイントを、この『知るギャラリー』の「新しいマーケティングのすすめ(21)」で本間氏がうまく表現してくれている。
「私たちマーケターは、同じ固有名詞に『様々な定義』が存在することを認識しないといけなくなったということではないでしょうか。」ということで、私の連載を引用しながら「言葉を可視化することで、言葉の意味理解を丁寧に行うことを提案」、「マーケターは、『固有名詞』の定義に、今まで以上に丁寧に向きあう必要があるのではないでしょうか」と提示されている。
その通りで、言語の意義の多様な意味理解のために、非言語情報は不可欠であり、さらに一歩突っこんで、言語の定義の広がりの予兆を見つけ出していくためにこそ、この暮らしの可視化データこそが有効なのだということにもなる。
「お茶わん」ごはんという言語の定義づけの変化、それは生活の変化そのものであり、この「お茶わん」ごはんという暮らしの定義づけがあってこそ、たとえば脱「お茶わん」化するごはんシーンという変化をみつけだしていくことができる。
「お茶わん」ごはんのシーンと重層するように、脱「お茶わん」ごはんシーンが拡大していっている。
このことが、これまでも述べてきた「気づき」ということになる。
脱「お茶わん」ごはん化といっても、上位の定義でいえば「ごはんを食べる」ということではあるが、その変化はワンプレートというパターンのシーンを生みだしたりすることにもなる。
それを生みだしているのはどんな無意識の成せる術なのか、それがWhyという仮説であり視点でもあるのだ。
言葉にならない予兆に「気づく」
こんな「気づき」と視点をもって、暮らしの中の非言語情報を丹念にみていくと、さらなる定義の変化の予兆を見つけだしていくことができる。
たとえば、以前にも一部紹介したことがあるが、これは私が保有する食シーンの可視化情報の一つである。
夫婦2人の夕食シーンであり、冷凍しておいた春巻と、多めに作りおいている野菜たっぷりのケイポンスープ、そして菜の花のおかか和えの夕食である。冷凍保存してはいるがすべて素材からの手作りであり、この菜の花は旬を感じたくて調理したものである。そして白いごはんで構成されており、これを言語だけでとらえると、典型的なしっかりしたメニュー構成の食シーンという定義づけになる。ところが、実際の可視化データを合わせていくと、白いごはんは冷凍庫に保存されていたタッパー入りのままチンして登場していることがわかる。いいかえれば脱「お茶わん」ごはん化のシーンである。この時の「気づき」のポイントは、同じごはんでも脱「お茶わん」化ということになる。
ところが、同じ2人の別の夕食シーンをみると、メニューの構成は類似しており、もしそれだけを言語でとらえていけば”ちゃんとした食”ということになる。
先ほどとの比較でみれば、このシーンではちゃんと「お茶わん」ごはんなのである。何がそうさせているのか。エピソード的にいえば、この焼き魚は角上で買ってきた銀鱈であり、つけあわせの明太子もついでに買ったもの。ある意味こだわりとグレードの高い気持ちスイッチが入って、「お茶わん」ごはんになったというわけである。
ただ、この人の食シーンの非言語情報を追い続けていくと、こんな献立シーンでないことも多々でてくる。それもまたごはんということの定義づけの多様性の成せるところである。
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