暮らし先読み、後読み予報~生活リズムの予兆を<n=1>からみる(17)ノープレート化する食シーン~新しい気づきと仮説を想像する~
ワンプレートからノープレートへ
今回の記事は、前回の記事の続きとなる。まだ読んでいない方は、ぜひ前回の記事をお読みいただき、本記事を読み進めてほしい。
暮らし先読み、後読み予報~生活リズムの予兆を<n=1>からみる(16)~データから人の暮らしをみる ワンプレート、みそ汁~
前回はみそ汁というアイテムが、食シーンのワンプレート化に存在価値を発揮しているのではないかということを述べた。
伝えたいことは、食シーンが古典的な一汁三菜パターンを逸脱していっている、ということである。
一汁という存在価値が薄らいでいくことで、みそ汁離れが促進されていると想像できる。しかし、ワンプレート化の拡大、たとえば残り物たちの累積ともいえるワンプレートの食を、マグネットとして食シーンらしくつなぎあわせているのが、実はみそ汁というアイテムの存在価値ということではないか、ということを考察した。
そして、同じママと二人の子供たちの食シーンの中で、特徴的なものを三つ挙げてみた。
これらの食シーンの特性を、私は【ノープレート化】というキーワードでとらえている。残り物たちが【ワンプレート】にもなっていない。タッパウェアやジップロックなど、冷蔵庫に住んでいた状態のままで食卓に登場しているパターンだ。
ワンプレート化ばかりか、別のお皿に盛りかえるという演出すら無くなっているのだ。これがノープレート化ということであり、ワンプレートのその先にやってきている食シーンの極北の姿だということである。
このノープレートの食シーンを、ある意味、食シーンらしさというつなぎ方をしている道具立てが「みそ汁」だ。
時短、簡便という視点でみると、面倒がかかるみそ汁は真っ先に欠落させられるはずである。しかし、ここにみそ汁が手作りで存在している理由は、みそ汁がノープレートの食シーンのマグネットとしてのジョブを果たしているからだといえそうだ。ここではみそ汁は一汁という脇役の「そえ物」ではなく、むしろ「ど真ん中」の位置とジョブになっているのだ。
食の「ど真ん中」にいるみそ汁
ノープレート化が促進されているのが、コロナ禍以降でさらに顕著になったのが昼食シーンである。前回キッチンダイアリーのデータでご紹介したように、昼食シーンでは持ち帰り弁当の利用増など、単品化して、メニュー数(皿数)は減少傾向になっている。
その点でみれば、このシーンでみそ汁というものに期待されているジョブは同じである。またこの昼食でのメニュー数(皿数)の減少は、今回のキーワードに言い換えるとノープレート化の促進ということになる。
ここで紹介している昼食の食シーンは、おにぎり専門店のおにぎりのテイクアウトで構成されている。それに加えて冷蔵庫に常駐している香の物などがノープレートとしてテーブルの上に登場している。
このランダムなアイテムのテーブル上のあり方を、やはりマグネットとしてつなぎとめているのがみそ汁である。
30代の働いている夫婦2人が、自宅で時間をあわせてセットした食シーンなのだが、この手作りみそ汁は、おにぎりの価値を最大限ひきだすためにそえ物としての位置ではなく、ある種の「ど真ん中」のジョブを果たしているといえる。
なお、キッチンダイアリーのデータによると、昼食シーンでのみそ汁はインスタントが増加している。
つまり、みそ汁というもののジョブをしっかりと果たしつつ、昼食シーンでは手順を簡略化したいということだ。実はインスタントみそ汁の活用は、時短、手抜きということではなく、「手間抜き」として使っているという傾向がみられる。キッチンダイアリーのデータでは、インスタントみそ汁を「そのまま」ではなく逆にひと手間加えている傾向をみてとることができる。
「インスタント味噌汁に豆腐を加えた」(70代)、「揚げやネギを加えることで、一層おいしくなった。」(50代)、「野菜をたくさん入れた」(30代)のように、みそを溶くというところについての「手間抜き」としてインスタントの価値を活用しているところがある。
このように、みそ汁というメニューアイテムの価値やジョブを見直すことで、新しい気づき、仮説がみえてくる。その背景としてワンプレート、ノープレート化という食シーンをまず見ておくことが重要なのである。
ノープレート化と蒸し野菜
このワンプレート、ノープレート化の拡大の一つのシーンとして、前回、蒸し野菜というメニューを特徴的な例題としてあげてみた。
私の言葉でいうとリッチなワンプレートシーンということで、この蒸し野菜の登場の仕方の一つを紹介した。
今回は同じ家族たちの蒸し野菜の活用であるが、ノープレート化した食シーンにおけるポジションをみておくことにする。じゃがいもやとうもろこしなどのアイテムが蒸し野菜として食シーンを形成している。
お茶碗に盛られている、かば焼き風のせごはんが主食的位置を形成しているが、あとはセイロ蒸し状態の蒸し野菜が、ノープレート化して食シーンをつくりあげている。セイロという調理道具は、そのまま盛りつけ道具に早がわりしているのだ。
これもある種の「手間抜き」といえる。
お皿という器に盛りつけるといった手間が抜けているのだ。蒸し野菜のジョブにはこの側面が非常に重要視されているといっていいだろう。
もちろん、蒸し野菜というアイテムたちの持っている健康価値なども当然の背景だが、このノープレート化という食シーンの流れに合致していることを見逃してはいけない。
一見手抜き派にみえてしまうこのママの食事準備行動ではあるが、このセイロは、横浜中華街の照宝というこだわりのイチオシアイテムである。お湯を沸かして蒸すという手間をかけているが、そのままテーブルでノープレート化するのに適していることを計算している。また、おいしく蒸し上がるということも含めてうまく手間抜きしていることになる。
盛りつけ、テーブルセッティングは最も手抜きしたい行動のナンバーワンであるからだ。
調理道具と盛りつけ
次にご紹介する食シーンは、同じ家族の夕食シーンである。蒸し野菜(とうもろこし)と枝豆がメインディシュである。
今回の蒸し野菜はセイロではないが、このとうもろこしについては、セイロ蒸しをたくさん作った残り物であり、この日の手間をかけたのは枝豆の方である。手間をかけたといっても、お湯でゆで上げたものをそのまま水切り、軽く塩をまぜるのに使った「ボウル」で登場している。
これもある意味ノープレートの食シーンである。
お腹が空いてしまった次女の方が先に食卓についている。蒸し野菜にゆで野菜といった夏の季節の楽しみが、食のモチベーションのメインだといえる。加えて納豆ごはんで完結している訳だが、ノープレートでありながら、健康感と季節感があふれた食卓といえる。
実はこの食シーンには時間軸と空間軸を少しさかのぼると前段がある。
姉妹2人でテレビを見ながら、ボウルから枝豆を食べているというシーンがあったのだ。
水筒にお茶が入っているが、これは、もし大人がビールを飲みながらであれば、食事前のおつまみシーンになる。よくみると昼の残りのおにぎりもあるので、食事シーンとも見ることができるが、間食シーンともいえるだろう。
枝豆は晩ごはん前のおやつなのだろうか。食と間食のボーダーがなくなり、次に食卓に空間が動くことで、夕食シーンにつながっていくことになる。
しかしながら、2人が枝豆を食べているこのシーンをみていると、ずいぶん昔の農家の土間が目に浮かんでくる。野良仕事からまだ戻ってこない母にかわって、祖母がゆでてくれたザルに取り上げた枝豆を、お腹の空いた子供たちが先に食べているという、かつて見たようなシーンである。
今回は、ノープレートを支える調理器具についても注目してみた。蒸し野菜、ゆで野菜、そしてセイロやボウル(昔ならばザル)などをみていると、【食べる】ということの原点に立ち返ることができる。
こんな気づきをみつけながら、食に関わる新しい仮説を立ててみるといいのではないだろうか。
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